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ブログ


【8月15日】あの夏を覚えている人と、今日も夜を過ごす
8月15日。戦後81年の夏を迎えました。遠く先の大戦で亡くなられたすべての方々に、心から哀悼の誠を捧げます。 本日は介護現場での活動のため、靖国の英霊への参拝が叶わないため、昨年の写真です。 日付が変わったころ、眠れずにいる方のそばに腰を下ろすと、昔の話を聞かせてくださることがあります。 不思議なもので、昨日の夕食が思い出せない方でも、あの頃のことだけは驚くほど鮮明に語られるのです。防空壕の暗さ。頭の上を通っていった音。疎開先の匂い。そして、とうとう帰ってこなかった兄さんのこと等々。 そのとき私はいつも思います。歴史は教科書の中にあるのではない。いま私が手を握っている、この方の中にあるのだと。 そして、その世代は確実に少なくなっています。あと10年もすれば、体験を「ご本人から聞く」ことはできなくなる。継承の期限は、もう目に見えるところまで来ています。 慰霊とは、過去を懐かしむことではなく、間に合ううちに受け取っておくことなのだと思います。 今日はもう1つだけ、書き添えさせてください。 この日をもって戦争が終わった、というのは、私たちの側の言い
勝 添田
8月15日読了時間: 2分


【8月14日】決めた日と、それでも止まらなかったもの
明日は8月15日、終戦の日です。けれど私は今日、その「前日」に立ち止まりたいと思います。 昭和20年8月14日。御前会議でポツダム宣言の受諾が決せられ、その日のうちに連合国へ通告されました。翌日正午の玉音放送は、いわば「結果の発表」です。国の運命を分けた決断そのものは、その前日になされていた。 歴史は、「決まった日」よりも「決めた日」に本質があると、私は思っています。 当時、国内には本土決戦を唱える声も根強くありました。情報は割れ、責任の所在は曖昧で、誰もが自分の立場から正しいことを言う。しかし、誰も最後の一線を引けない。その膠着を破ったのが、あの日の決断でした。 決断とは、選択肢の中から良い方を選ぶことではありません。選ばなかった方の結果まで、まとめて背負うことです。 いま私は、介護の現場で夜勤に入り、成年後見人としてご本人に代わって判断する立場にもあります。手術に同意するか。住み慣れた家を離れるか。財産をどう守るか。どれも、正解の書いてある問題ではない。決めなければ、その方の暮らしは守れない。決めれば、間違いの責任は自分に返ってくる。規模はま
勝 添田
8月14日読了時間: 3分


子育て支援は、きれいごとでは足りない
子育て支援という言葉は、今や多くの政治家が使います。でも、言葉だけでは生活は軽くなりません。 実際には、保育、教育費、習い事、食費、住宅費、時間の余裕のなさ。子育て世帯の負担は、ひとつではありません。 だから本来は、家計支援と時間支援の両方を考えないといけない。 私は、子育て政策は『応援しています』という姿勢を示すだけでは不十分だと思っています。 たとえば、手続きが煩雑で取りこぼしが起きる支援、年度や年齢で急に切れる支援、制度ごとに窓口が違う支援。こういう使いにくさは、政治の怠慢です。 対案として必要なのは、制度の棚卸しです。新しい看板を増やす前に、既存制度をもっと使いやすく一本化する。忙しい家庭が迷わずたどり着ける設計にする。ここは見直す余地が大きい。 家でも、朝の支度ひとつで戦いです。弁当を作り、忘れ物がないか確認し、時間を見ながら一日を回す。子育てはきれいごとではなく、現実の連続です。 高戸ともこ市議とは、子育て世代の声についても共有しています。地域で聞こえてくる悩みは、派手ではありません。でも、その地味な負担が積み重なって家庭の余裕を奪っ
勝 添田
4月22日読了時間: 2分
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