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執筆者の写真そえだ勝

3.11が初出馬のときでした

福島出身者として、川崎と福島の架け橋になる、と政治とは別のもう一本の軸を立てて活動してきてから、早11年。

あのときは、まわりの反対を押し切り選挙運動をほっぽり投げて、翌日には陸前高田にはいり、その日に福島入り。そしてしばらくの間、人手不足の老人ホームで活動していました。そして、その時に起きた原発の水素爆発。もうわけがわからず走ってました。そのことを皮切りに、その後は義援金や復興支援ツアーや福島県産品の販促等々を続けてきて、最近はオンラインでの川崎人と福島人の交流会等、なんとか細く長くやり続けています。

そして最近になり、信頼できる友好国台湾が福島県産品の輸入規制解除等を行い、少しずつ、状況は良くなってきました。

しかし、まだまだ宮城岩手と違い、福島復興は道半ばです。

私は3.11があったから、川崎の人はもちろん、全国民が福島を、東北を思いやれる気持ちを持ち続けてもらえるよう、引き続き、活動していきます。 それこそが、いまの世知辛い世の中に、最も求められている、利他の精神へと繋がっていくと信じています。

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