今から、10年の前のこの日、我が愛する故郷福島は未曾有の危機に見舞われました。そして、翌日の12日に福島入りし支援活動を始めた矢先に第一原発が水素爆発。
私は初めての立候補でしたが、選挙運動をほっぽりなげて支援活動に没頭していました。
そして、選挙本番直前に戻ってきて、写真はその直後の選挙本番の様子ですが、選挙運動中も「えほんを送ろう被災地へ」という活動を行いながらの選挙戦でした。
それから、10年、今でも「川崎と福島の架け橋になる」という気持ちを忘れず、行動しています。
しかし、まだまだ、宮城岩手と違い、福島の戦いは終わりが見えません。農産物や魚介類等にはいまだ風評被害が存在し、科学的には何の問題もない安全な物でも、なかなか、受入られていません。そして、コロナの追い打ち。
だからこそ、粘り強く諦めずに、正しい情報を発信し続け、福島に寄り添いながら、都市と地方を結ぶ立場で引き続き活動していきます。
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